初めての方へ

2013年11月25日

鬱が先か。アルコール依存が先か。



私は、幼少期の心の問題を抱えたま、成長したと思っています。

私自身、キレると、ものすごい暴言を吐きます。
また、私の弟のキレた時の形相も異常な恐ろしさで、ものの言い方も激変します。
これも、直接本人に言ってはいませんが、成長過程での何かが原因だと思います。


精神疾患について調べてみると
あまりに多くの症状やレベル、原因があり、
これだけあるなら、世の中の多くの人は

多少なりとも いずれかに該当してしまうのではないかと思ってしまいます。

生きづらいとか、
友達ができにくい、
些細なことで腹が立つ、
自分をとことん隠し、
人や物に執着したり、

偏食や過食、拒食などの本当に苦しい症状のほかにも、


肩こりや頭痛まで
鬱の症状だと言われれば

これはもう。
人間全部、精神疾患を何か持っているように思えます。


私は子どもの頃は
精神疾患など知りませんでしたから
生きづらさの原因を追及することもできなかったし、
ぼんやりといつも、愚痴ばかりの母、キレて怒鳴る弟、不機嫌なだけの父親のなかで
ただ、「こんな家、嫌だな」という思いだけを抱えて
いつか結婚して早くここを出て行きたい。というのが
物心ついたころからの『夢』だったように思います。

それでも、「自立して、自分一人でも生きていく」という選択肢も
あったはずだし、それが一番堅実だったはずなのに

なぜ、結婚して出ていく、と考えたのか、
それこそが依存症、依存性の表れだったと、今さら思います。

母は文句ばかり言って、私にはキツい人でしたが、私に「強くなりなさい」ということを
全く教えてくれませんでした。

「あんたはいい人と結婚しなさいよ。」とばかり聞かさて育ちました。


今、私は娘たちには
「ひとりでも生きていけるようにきちんと仕事をしなさい。結婚しても仕事はやめたらアカン」と
ことあるごとに言っています。


愛は大切かもしれませんが
お金が無ければ、『愛』さえ無くなります。
さびしい人と思われそうですが、
現実問題、私はつらい思いをしたときに、
何度も「今、お金さえあれば!」と思ったからです。
そのお金というのは、
家族が生活していけるだけの稼ぎを得られる職業を持っている、ということです。
正直、お金はたくさんあるに越したことはありません。

愛さえあれば、お金なんていらない、なんて、
愛もお金もない状況に陥っている人間に通用しません。



話が大きくそれてしまいましたが、

わたしは、夫が完全に家出したとき、
どこからどう見ても完全なうつ病に陥りました。

これから幼子2人とどうやって生きようかと思ったとき
死ぬに死ねない、どうすればいいの?と頭がパリンと割れた気がします。

家事ができなくなりました。
でも、子どもが帰ってくるときには、つらい体にムチうって
笑って迎え、好きな晩御飯を作ってやらなければ、と無理をしました。

子どもが保育所、学校へいくと、死んだようにうずくまって1日を過ごしました。
シンクに山盛りの洗い物がたまり、洗濯は洗濯機に入れても干せない
干しても取り入れられない、取り入れてもたためない。

母に一応相談しました。

とりあえず幼児2人連れて働きに出るなど鬱状態では到底無理で、
出来れば、母に助けて欲しいと思いました。

予想通りの言葉がかえってきました。
「お父さんに相談してみたら?」
「手伝いに行ってあげたいけど、お母さん車の運転できへんから...」

娘が電話口で泣いて助けを求めていても
母の口からは、私より父のことしか出てきませんでした。
言い訳は大嫌いです。
本当に助けようと思ったら、
1時間でも2時間でも歩くし、電車でもタクシーでも来られます。
私なら、そうするでしょう。
でも、母は出来ないことは父や何かのせいにして、
逃げる自分を正当化する、そういう人でした。

その後、父といっしょに、手伝いに来てくれたこともありましたが
「何回も手伝いに行ってやった」と恩着せがましく言われました。
だから、もう来て欲しいと思うのはあきらめました。

色んな精神科や心療内科へ行きましたが、

気に入る病院はちっともありませんでした。

どこへ行っても、
同じような薬を出されるだけで、
どういう風に気持ちを切り替えれば、ましになれるか、とか、
私が求めていた処置や、生き方を助言してくれる医者はいませんでした。


そんな鬱のピークから、現在は約10年くらい、経過しました。

今では普通に(?)生活できてはいるつもりですが、
やっぱり、今でも人とは付き合いにくいし
そのくせ人恋しいし、
信用して裏切られるのは怖いし、

家の中もなかなか片付けられないし
何でも後回しにしてしまう癖もなおらないし

でも、
もう何年も精神薬は飲まずにきました。
最後は自力で減薬して薬をやめました。

とくにパキシルは怖いです。
急にやめたら、死にたくなるほどしんどいですよ。要注意。

でも、自力で止められました。
うまく減らすのがコツです。


私は、鬱の間も薬とお酒を飲んでいました。

薬とお酒は一緒に飲んではダメです。

常識ですが、常識を守れないほど、私は壊れていました。あのころ。


先に止めたのは薬でした。
今、アルコールも止めました。

でも、
昨日から、
ちょっと
ウツ来てます。

久しぶりに薬飲みました。

しんどくて、お酒が飲みたい、って思ったので。
お酒飲むくらいなら、精神薬飲んでる方がずっとまし。


断酒も、精神的な弱い面とも

まだまだ、一生付き合っていかなければならないんだなぁ、と思います。

鬱だったから、アル症になったのかなー
アル症の要素があったから、飲んで鬱になったのかなー

なんて、昔々の自分を振り返ってみました。



余談

進化論では 卵が先
神学的には 鶏が先
仏教的には 最初は存在しない

(wikipedia参照)


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rara_5 at 12:59|PermalinkComments(16)

2013年10月17日

「もうお酒なんて飲みたくない!」と思えるようになりたい



私は毎日お酒を飲んできました。


ここ20年はほぼ毎日、日中飲酒でした。

さらにここ5,6年は、朝からマグカップに
焼酎を入れて飲みながら家族の朝食を作っていました。


何度もやめようと思いましたが、何度も何度も失敗して、
その都度、「ブラックアウト」状態で寝てしまうことがどんどん増えました。



私の周りのだれも、私がひたすら飲み続けていることを知りません。



子どもが小さいころは昼間から堂々とビールの缶を開け、
飲みながらウロウロ家事をしたりしていました。
でも、子どもが成長するに伴い、さすがに見せてはいけないという意識だけは高まり、
ひたすら隠れて飲み続けました。



7年ほど前から、家での仕事が中心になった私にとって、
日中、誰もいない家で、いくらでも飲んでいられる環境でした。

飲んで酔って、昼間から寝込んでも、夕方また起きて、
頭ガンガンした状態で、またマグカップにビールや焼酎を隠れて注ぎ、
飲みながら晩御飯の支度をしました。ご飯を食べながら、
お茶を飲むふりで、酒を飲んでいました。

子供たちは、今では「ママはお酒はやめた」と思っています。
家族には知られず、何年も経過しました。



今回こそ、私はもう死ぬまで飲まなくてもいいと

自分に言い聞かせたいのです。



完全にアルコール依存である自覚を持ってからは、
「これはやばい」という自責と負い目から、
誰にもばれないように、ひたすら隠れて飲んで、
人の目をかいくぐってきたように思います。

だから、やめるきっかけが作れず、ダラダラ毎日飲んでいました。



当然、仕事はおろそかになり、遅れたり、
手抜きになっていることが多かったと思います。

きっと、仕事で出かけた先のお宅でも私は酒臭かったことと思います。


 

ときどき子供に「ママ、なんか変やで?お酒飲んだ?」と聞かれることもありました。
自分では普通にできているつもりでも、妙にテンションあがっていたり、
トンチンカンな返事をしたり、今聞いたこと、言ったことを忘れていたり、
明らかに不審な点があったのでしょう。

それでも、「飲んでないよ!」と目の前で飲みながら大嘘をつき続けたのです。最低です。



正直、まだ今でも飲みたいと度々思います。

飲んで酔っ払いたいってふいに思います。


 

でも、お酒の怖さを嫌というほど知っています。


度を越した飲酒がどれだけ人に迷惑をかけるか知っています。
私は隠れて飲んでいるので、目に見える迷惑をかけてはいないかもしれませんが


適量が守れない私には、やめるしかないのです。


ちょうど、飲むのをやめて1か月たちました。



〇〇日やめた、という意識はもうあまり持ちません。
一生やめる気持ちで断酒しなければまた飲んでしまうことを
何度も経験して知っています。

私は自助会、AAへは行きません。自力でやめるつもりです。

ただ、ブログで発信して、人の目に触れることで、
意識を持ち続けることの効果を期待しています。

ブログに今までのこと、お酒に対する意識の持ち方を、
できるだけ考えて書きとめていこうと思います。


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rara_5 at 14:27|PermalinkComments(2)