2013年10月

2013年10月31日

酒で死んでもいいや、と思っていましたが命が惜しくなりました


アルコール依存症の人間(私)がお酒をやめることは、

それはそれはとんでもなく過酷な挑戦になると思っていました。



私は、「酒で死んでもいいや」と
概ねそう思いながら飲んでいました。


そして、ブラックアウトから目覚めたときには
強烈な自己嫌悪で、「死んでもいいわ…」と思います。



以前人から、

私は人前で暴れたり迷惑をかけているわけでもなく、
最低限度の家事、仕事、酔っ払ってもできているようなので

特にお酒をやめる必要もないのでは?

と言われたことがありました。


遺伝的に、私はお酒には強かったのかもしれませんが
それでも、生活にまったく支障が無かったわけではなく、

それなりに、記憶から消してしまいたいと思っている
酒での失敗は、ここで書ききれないほどあります。


だから、もう飲まない人生を生きたい、
子どもにもお酒の不要さを知ってもらいたい、
健康で有意義な時間を送りたい、と
決心したのです。


どうやって止めるか。そこが問題です。

止めようと思っても、飲みたくなるので、
飲みたくなったらどうするか、が

まず第一ポイントでした。


お茶やコーヒー、仕事や趣味、スポーツなどで気分を変える、とか
そんな生易しいことで飲酒欲求はごまかせません。


ただ、単にお酒がみたくなるのです。
そこにあればなおのこと、
無くても飲みたくなるのです。


刺激が必要だと思いました。
あたかも酒を飲んだかのように、体に納得させる酒以外の何か刺激物が。


以前、アドバイスいただいた方法は

飲みたくなったらまず水でいいから、吐きそうになるまで飲む、でした。

たしかに、お腹がタプンタプンになるまで水を飲むと、
飲酒欲求は消えました。

というか、口元まで水で満たせば、物理的にもう飲むことはできないので
この方法、意外といける、と思いました。


断酒決心1日目にはまずおすすめできる方法です。


でも
水って美味しくないのです。
そして刺激も無いのです。
だから、お腹いっぱい飲む行為は苦痛になるのです。
苦痛と思う方法は当然続きません。

いかに、楽して断酒できるか、それに越したことはありません。


今私は、一番お酒に精神を乗っ取られやすいキッチンで
ペリエを切らさないようにしています。

良く冷やしておいて、
プシューとあけたときに、
ちょっとビールを飲むような気がして納得できます。

一缶60円程度で買えます。(大手通販サイト、楽〇とか)
ビールを毎日5、6缶飲むより、ぐんとコストダウンです。


飲みたくて仕方がなくなると、
はじめのころは、一日に5,6缶飲んでいましたので、


お酒をやめても完全なる節約にはまだつながりませんが
缶ビール、缶チューハイ、焼酎などを飲み続けるよりはるかに安いです。


炭酸以外にも、ジンジャエールや変わった風味の中国茶など、
喉や味覚に刺激のあるものを、といろいろ試してみましたが、

結局、安価で、飲みやすく炭酸がそこそこキツいペリエ缶に落ち着きました。


はじめは飲酒欲求が襲うたび、1日に何度も何缶も
ガブガブとペリエを開けて飲んでいました。

ところが、断酒一か月半が過ぎ、

ここ数日は、夕飯の支度を始めたときに起きる飲酒欲求をごまかすのに1缶、
多くても2缶飲む程度になりました。

それで、納得できています。
食事中も飲みたくなくなりました。


明らかに、
変わってきていると思いました。


どうかこの断酒が一生続きますように。
あわよくば、苦しまずに断酒が続けられますように。


私の断酒は、
家族にも誰にも宣言せず、一人で決心した断酒なので
誰もほめてはくれませんが、

がんばっている私を、自分でほめてあげたいと思います。
えらいぞ、私。ガンバレ私。

そしてありがとう、心の友ぺりえくん。

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rara_5 at 16:06|PermalinkComments(8)

2013年10月30日

飲酒欲求を抑えるという夢のような薬



月末月初は仕事が忙しくて

出来るだけ書こうと思っていたブログでしたが
数日間も空いてしまいました。



お酒を飲まずに過ごしています。

私は、今まで、毎日1~2リットル飲んでいたアルコール飲料に代わって
今はペリエ缶を切らさないようにしています。

いろいろな飲み物で、飲酒欲求をごまかしてきましたが

一番飲みやすくて安価で、炭酸が強いので、
お酒を飲みたいな、と思った瞬間に、

まるで缶ビールを開けるように、

ペリエ缶を開けて一気飲みします。


昔からある、
シアナマイド(一般名シアナミド)やノックビン(一般名ジスルフィラム)という抗酒剤は
私は、頼れないと思いました。

なぜなら、
私は、飲酒欲求がある限り、
薬を飲まずに、絶対に酒を飲む自信があったからです。


しかし近年、その飲酒欲求を抑えてくれる
アカンプロル(アカンプロサート)、レグテクトというお薬が処方されるようになりました。

今回、これで私はついにお酒をやめられると思ったのですが
結局、このお薬は4、5回しか飲みませんでした。
効果があったのかなかったのか、
正直、まったくわかりません。

効果を期待するなら、3週間くらい飲む必要があるらしいです。


私は
今回の断酒は、もう人生で最後にしよう、と思ったことや、
飲みたくなったら、この薬を飲めば大丈夫、と思ったことで、

飲酒欲求を感じても、
「止めるって決めた」という気持ちがちょっとは働き、
飲まずにいられています。

一番信じていなかった精神力(私にあるのか?)というものも、
結局、何より必要であるということを改めて感じています。

気力だけで止められるわけない、
絶対無理!止められた人はいいけど、
私には無理!

そう思っていました。

お薬や、お医者さんや、AA、自助会の力を借りることは
断酒にとっても効果があると思いますが、

最後に頼るのは、自分の心しかないんだな、と思います。

今日は今から、
仕事で出かけます。


飲まなかった薬がたくさん残っています。

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rara_5 at 12:29|PermalinkComments(4)

2013年10月26日

アル症を自覚して、簡単に止められましたか?


お酒が止められない自分自身に、何年も苦しみました。

止めようと思っても止められず、飲んでしまうから
アルコール依存症なのです。

止められない自分がつらくて、
止められない自分から逃げるためにまた飲んで
堂々巡りの悪循環を毎日毎日繰り返していました。


アルコールを飲むから、止められないつらさはいつまでも続くのです。


すがる思いで、立ち寄った、ある断酒仲間さんの集まる掲示板で
アドバイスが欲しくて、自分の状況を相談する書き込みをしました。

すると、

「そこまでわかってるなら、こんなところで書いてる場合じゃないでしょ?
今、止めればいいだけじゃない!?」
といった内容の返信をされました。

どうすればいいのかアドバイスが欲しくて、
同じように苦しんでいる人がいるなら、協力し合えれば、と思って

勇気を出して、書き込んだ掲示板でしたが、その一人の言葉で
私は2度とその掲示板へは行きませんでした。


止めないのは私自身のせい、つらいのも自分のせいでしょ、
そんな、もう分かり切っていることをあらためて他人に言われたところで、
多少の悔しさはあっても、「なにくそ!やめてやる!」と奮起できるくらいなら、
とっくに自分の意志で止められていたでしょう。


それができないから、何年も苦しんできたのです。
ますます人間嫌いになりました。


悲しくて情けなくて、誰も助けてくれないんだ、と実感して
そして飲み続けました。
私を傷つける奴らがいるから、私は飲んでしまうんだ、と
また、他人のせいにして飲んでいました。


みなさんは簡単にやめられましたか?


止めようと思って、さっさと決心してやめられましたか?


酒を止めようと思ったときに、止めたり飲まないでいられるのは
「普通にお酒をコントロールできている方」であり、
すなわちアルコールに囚われていない方だと思います。

止めようと思っても止められず、飲んでしまうからアルコール依存症であって、

「わかってたらやめろ」といわれて、
簡単にやめられるならこんなに苦しまないと思うのです。



いろんな人間がいます。

私は打たれ弱く、些細な言葉に異常なほど傷つき、気にしてしまい、
そのたびに、人との隔たりを厚くしてきました。

相手は悪気は無かったのかもしれませんが、
私自身が納得できないような言葉や、相手の態度を不快に感じてしまうと、
もうその人を受け入れられなくなってしまいます。
些細な言葉にも、嫌われているのかな、とか責められているのかも、と
気になってしまいます。


だんだん、友達が減り、人との付き合いを避けるようになりました。


責められることが好きな人なんて、そういないと思いますが
私は特に、言葉の揚げ足を取られたり、何も知らないのに一か所だけ見て攻めてくる人は嫌なのです。(きっと誰でもそうかもしれませんね。)


その掲示板がどこだったか、もう忘れましたが、
その時に感じた嫌な思いは、1年以上たった今でも忘れられません。

単に、嫌だった、というだけでなく、
本当に自分を情けなくみじめに感じてしまったことが、つらかったのかもしれません。



今、私は断酒1か月を超えましたが

正直キツいです。

ちょっとストレスかかると、また飲もうと思います。

昨日あたりから、過呼吸になる予兆がずっとあり、
息がすごく苦しくて、吸っても吸っても、きちんと吸い切れていない気がして
何度も大きく吸い込んでいます。気がおかしくなりそうになります。


私には断酒補助剤はあまり効果ありませんでした。

アカンプロル(アカンプロサート)のことを、今度書こうと思います。



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rara_5 at 15:17|PermalinkComments(13)

2013年10月24日

依存症になった生い立ち



私は、自分の悪い所を絶対に他人に見られたくありませんでした。

いつも外面はよく、頼まれたことは嫌でも、無理しても引き受け、
人によく思われたいと思って生きてきました。

幼いころから、満たされない思いや、寂しさがあったからだと思います。


母は、常に父に対する愚痴を言っている人でした。
それは、年老いた今ですら、変わりません。

「〇〇に行けないのはお父さんのせい」
「お父さんが家にいるから〇〇へ行けない」
「お父さんがアカンて言うからできない」


子ども心に、母はなぜ全て父のせいにするんだろう?と思いました。
私は、お父さんではなく、お母さんに、できるかどうか聞いているんだよ?

母にとって、私の気持ちより、父がどう思うかが全てだったのです。
それは今も変わりません。悲しいことですが・・・。


私が小学生のころ、父に対する不満を言う母に対して、
「お父さんがイヤなら離婚したら?」というと、
「アンタら子どもがいるのに離婚なんかできへんわ!」と言われ、
私がいるから母はよけいに悲しいのだ、と子ども心にそう思いました。


母のいくつかの言葉や態度を、私は成人後までも傷つき恨んでいました。
父とは、物心ついた頃からほとんど会話をした記憶がありません。
弟は幼い頃からすぐキレて、いつも私にケンカをしかけ、暴れていました。


子どもの頃、弟が、怒ったりキレて暴れても、母は叱るのではなく機嫌を取って
弟のことをいつもかわいがっているように思えました。

でも、母は、私と弟がケンカしていること自体がうるさくて腹を立て、
狂ったように叫んで、家を出ていくことがよくありました。
しばらくすると帰ってくるのですが。


高校生にもなると、幼いころには表現できなかった不平不満が反抗期と重なり、一気に噴き出しました。私は母に対して、暴言を吐き、不満をぶつけ、過去のことまでも責めました。


家庭環境や、愛情不足で育つと、
性格形成に影響がある、ということを、短大の心理学で学びました。


幼少期に愛情を感じられずに育ってしまった私は、
付き合った男性に対して、異常なまで愛情を求めました。


私だけ見て欲しい、知らない時間を持たないでほしい、と思ったり、
贈り物をすることで自分に引きとめておこうと必死でした。
本当に私はしつこいイヤな女だったと思います。

そして、結婚してこの家から出て行けば、きっと幸せになれる、と思い込んだ私は、男性に対して、とにかくずっと一緒に居てくれることだけを求め、相手の真の中身(性格)を見ることなく、今の結婚に至りました。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


今私は、私を育ててくれた頃の母の歳を過ぎました。


今さら、ですが

私がこうなってしまったのは、何も母のせいだけではなかったはずだし、
自分の弱さこそ大きな原因であり、
育った環境に不満があっても、もう親や弟のせいにしてはいけないと

ようやく思えるようになってきました。


この世に生まれてこられたことも感謝しなければならないし、
母や父が、私を育ててくれたことも事実だし、
大きな病気もケガもせず生きてこられたことは幸せなことで、
血のつながった弟という存在があることもとてもありがたいこと。


私がこうなったことの原因がどうであれ、

もう十分、原因追及したし
嫌というほど、過去やまわりのせいにして飲んできました。

そろそろ、生い立ちや過去の苦しみを解放しなければなりません。

相変わらず、母に会うと、父への愚痴を言わない日はありません。でも、田舎から一人で都会へ嫁ぎ、父しか頼れなかったのに、父に虐げられてとても寂しかったのだと今ではわかります。そんなさびしい気持ちの中でも私を育ててくれたことに感謝しなければなりません。

気難しく、口もきかなかった父が、ここ10年、何かと私に連絡してくるようになりました。「人に絶対に迷惑をかけるな」と言っていた父が、平気で私を頼るようになりました。

弟も、偏屈で怒りっぽいのは相変わらずみたいですが、10年前に、私が旦那とうまくいかなくなったとき、本気で涙を流して心配してくれました。家庭を持って、家事の手助けもしながら、子どもや奥さんともうまくやっているようです。


楽しく幸せに生きるためには

嫌だったこと、悲しかったこと、そういうのも認めた上で
もう後ろを振り向かず、前向きに生きることが大切だと思います。

過ちや後悔を、決して忘れてはならないけれど、
振り向いてそれに囚われてしまってはいけないと思います。


過去にさんざん飲んで後悔したことは忘れません。
そして、今日も飲まないし、明日も飲みません。

自分が変われば、周りも変わるような気がします。



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rara_5 at 16:01|PermalinkComments(4)

2013年10月22日

のみすけさんのブログとの出会い




お酒がやめられず、毎日苦しく感じていた私にとって、

断酒できたことを喜んでいる人たちのブログは、
自慢話にしか受け取れず、うらやましく、妬ましいばかりでした。

それでも、お酒をやめられる方法を探すべく
「アルコール依存症」の検索をしていたある日、
「酒をやめて
happyになろう」というブログがヒットしました。


それは、断酒されて間もない、のみすけさん、という私と同年代であろう男性のブログでした。
みると、「30年間飲酒してきた」とありました。
そして、医者にも、AAなどの断酒会にも参加せず、自力でやめることを綴られていました。


私は、自分が3か月酒をやめても、また飲み始めてしまった身なので
「きっと、この人も3か月とか、6か月とか、どこかで絶対また飲んでしまうだろう」と
思っていました。


みすけさんは、ほぼ毎日、きちんとブログを更新され、
はじめのころは、まだ飲酒欲求がある様子も伝わってきました。
ひねくれものの私は、「いつ再飲酒するんだろう」と思いながら読んでいました。


でも、のみすけさんは飲みませんでした。


のみすけさんのブログが3か月目を迎えるころ、

私はそれまで、「きっとこの人もスリップする」と思っていたのですが、
それがいつしか「飲まないでほしい」という気持ちに変わっていました。


30年間、日中飲酒、酩酊、家族に迷惑をかける飲み方をしてきた人間でも

酒を止められるのだ、という証を見せて欲しいと思うようになっていたのです。



人間不信で、ひねくれ者で、人を恨んでさびしさやストレス逃れでもあった

陰気で陰湿な私の引きこもり終日飲酒を、もう終わらせるときが来た、と思いました。


止めても飲んだら、また同じことの繰り返しだと、経験して嫌というほどわかっています。

1杯だけとかちょっとだけとか、それで止められないのがアルコール依存症です。
だから、2度と一口も飲まない、と決心して、それを続けておられる、のみすけさんのようになりたい、と私も思うようになっていきました。


「飲んでしまうはず」と思っていたのみすけさんが、本当に飲まずに、半年を過ぎたのを、この目で確信して、
「きっと私もやめられる」と思えるようになりました。
だから、もう、一生飲まないという覚悟をしました。


そして、今日にいたります。


でもまだ、私は未練タラタラです。

やっぱり飲みたい、
たまには飲みたい、
ちょっとでいいから飲みたい、とか。

だから、まだ私はお酒に囚われているようです。


のみすけさんのように、

もう飲む必要がない、と思えるようになる日が待ち遠しい。


「断酒に終わりはありません。」

このセリフを以前の私は「なんと厳しいものだ」と思っていました。

お酒を一生飲まないなど、生きる術を奪われるも同然のように思えて心底ぞっとしたので。


あれだけ恨めしく思えた断酒していらっしゃる方々のブログを、
今では、興味を持って読み、とてもありがたいと感じられるようになったことは事実です。



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rara_5 at 13:26|PermalinkComments(8)