2013年10月19日

初めての飲酒から結婚まで



どんなお酒の飲み方をしてきたのか、さかのぼって、書いて、自分を見直しておこうと思います。

私が初めて酩酊したのは16歳。

親の留守中に、彼氏を家に呼んで、その時、家にあったウイスキーのボトルをあけて飲みました。
心配する彼氏を横目に、私は酔っ払って、天井がグルグル回っていたのを覚えています。

その後はたぶん、成人するまでは酔うほど飲むなんてことはなかったように思います。

しかし、成人して、就職して、職場の宴会などで、飲む機会が増え、私は一気に「酒飲み」と呼ばれるほど、飲むようになりました。

私が社会人になって1、2年すると、日本はバブル期になりました。

いろんな店が増えました。フランチャイズ、チェーン店の居酒屋があちこちにできて、多くのスナックでカラオケなるものが置かれるようになりました。夜はどんどん長くなり、酒飲み女がますます楽しめるものになりました。

飲み会で、「ららちゃん、お酒強いな!」と言われると、バカ野郎な私はそれをほめ言葉と勘違いして、「私、いくらでも飲めます」オーラを発して飲み続けました。
若かったとはいえ、本当に情けないことです。

お酒をすすめられたときに、「私、飲めません」と断る人や、最初からお茶やジュースを飲む女子を見て「何?!それ!失礼な子!」とさえ思っていました。

そんな時、高校時代から約7年間付き合った、冒頭のウイスキー事件の彼氏にフラれる事態がおこりました。

泣いて泣いて、今でいう「ストーカー」行為(当時はそんな言葉なかったけれど)で、毎日電話をかけて、「別れたくない」を連発し、職場まで会いに行ったりしました。私のそういうところも依存症を現しているのだと思います。
仕事が終わると、大急ぎで家へ帰りました。バスを降りて、自宅まで、毎日走って帰りました。なぜなら、当時はまだ携帯電話がなかったので、家の電話でしか連絡を取ることはできませんでした。だから、もし、カレが思い直して、家に電話をしてきたら、と考えると、とにかく早く帰りたかったのです。

でも、結局カレはわたしのところへは戻ってきませんでした。

追いかける行為、って逃げる者にとって、悪い効果しかないんですよね。理屈じゃわかっているのに、どうしても弱虫で依存症だった私は、追いかけ続けていました。超しつこくしました。逆効果なだけでした。別れようと思ったカレの気持ちにさらに追い打ちをかけたようなものでした。

さて、そこから、私はお酒に逃げるようになりました。

酔えば忘れる、と思いました。酔って寝ても翌日起きれば、また朝から涙が出るほど悲しかったのに、やっぱり飲んで忘れようと思っていました。

しばらくして、職場や、知人を通して知り合う男性もできて、飲みに行く機会も増えました。今の夫と知り合ったのも、その頃のことでした。
行く先々で、とことん飲みました。
飲むと気持ちが大きくなり、悲しいこともその時は忘れているように思えました。
バカ騒ぎして、調子に乗って、嫌なことも吹っ飛ばせると思っていました。

ますます「ららちゃんは良く飲む子」と思われるようになっていきました。

絶頂バブル期は私にとって、最高に飲むようになった時期でした。
思い出してもネオンと笑い声が聞こえてくるような気がします。


お酒があれば、嫌なことも忘れられる。
お酒があれば、なんでもできる!
そう思っていました。

長年付き合ったカレ氏にフラれたあと、付き合った相手の中には、良く飲む人、そこそこ飲む人、いろいろでした。
その中で、今の夫と出会ったことが、お酒という悪魔を崇拝してしまうきっかけになったともいえます。夫は私に輪をかけて大酒のみで、無節操な飲み方をする人でした。

夫と付き合っている当時から、夫とうまくいかない時、また私はお酒で紛らわしていました。
仕事帰りに、酒屋へ寄って、美味しそうなお酒を買って帰って、部屋でひたすら飲みました。

いやなことがあった日も、何もない日も、飲みました。

結婚する前から、夫の酒癖はわかっていたのに…。その後何度も夫の酒の失敗を私が尻拭いすることになるなんて思いもせず、その時は、好きだったから、それ(夫の酒の失敗を尻拭いすること)も「愛」と勘違いしていたのでしょう。

旦那と結婚することになり、お酒は意識しなくても、必ずいつもそこにあるもの、になっていました。

結婚してから、アルコール依存症を自覚するまでのことはまた後日書こうと思います。


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rara_5 at 16:18|PermalinkComments(2)